苦痛の日々2010
去年の8月31日、22週5日。来るべき帝王切開の為に、自己血の貯血を行った。10分間で40 […]
夏休み後半から、次女に続き長女までもが中耳炎になって、またまた昨日ママと次女が風邪ひいても、いっくんには全然風邪が移りません
以前は真っ先にお熱出してたのに…
NICUを退院するときに、『体重5~6kgになるまでは、とにかく人混みに連れていかないほうがいい』と言われたのは、こういうことだったのかしら?
下痢は落ち着き、エレPも離乳食もモリモリで、しかもお腹が張らずにエアが引けない。つまり絶好調です
今日はレントゲンの後、造影剤を飲ませて小腸の長さを計るはずだったのですが…
先生も『う
ん(^^;、こんなに調子が良いなら、手術は急いでしなくても良さそうだよね
』と。
だって今日は看護師さんの健康診断らしく、行く先々でキャーキャー( ☆∀☆)囲まれてしまって、いっくん見るからに大興奮の絶好調だったんですもの。
先生の見解によれば、
『最初の壊死性腸炎の時に、この問題の箇所も炎症を起こしていたのだろうが、見た目にはわからず、また、少し離れた場所だったので細胞を検査しなかった。そこが盲点となり、二度も腸炎になりかけて腫れて、入院することになってしまった。この間の手術の時に細胞を取って調べたら、この箇所だけ組織がほとんど動いていなかった。ここが再び正常に戻るという可能性はまず無いので、また拡張してしまうようなことがあれば、すぐに切除すべき。だが今は、良くはならずとも悪くもならず、ガスは溜まっているものの引けるほどではない。ならばこのまま様子を見ていきたい。』とのことでした。
手術を予定していた先生にすれば、アレレ?という感じみたいだったらしく、ニコニコ(σ≧▽≦)σキャッキャするいっくんをしみじみ可愛がってから、『こんなに元気で手術はできないよなあ
』と、苦笑でした。
入れたお水でエコーがくっきりと映り、奇形や病気は見当たらないことが告げられました。
そして思いがけず『はい、ここチンチン』って言われて『チンチン
』って声が裏がえっちゃいました。
男の子を切望していたパパは、この日にさらにいっくんの生誕を確信したそうです。根拠は無し
せっかく入れたお水が漏れないように、シャンプーもキャンセルしたのに…ほとんど流出して翌日には少ししか残っていませんでした。
でもこの日に、『いっくん』という呼び方が決まり、名前は『いっき』くんがいいかな~!?なんて、楽しくなったのを覚えてます
去年の今頃、わたしがまさに、病院のベッドの上で上記のタイトルのような記事を検索しまくって、なんとか希望を見いだそうと必死でした。
去年の8月19日、21週0日でこの大学病院に入院した時には、さすがにベテランの先生も『破水はしてないと思うけどね~。羊水が少ない原因を調べていきましょう。』と、あまりピンと来てない感じでした。
中期に破水しても感染もせず、妊娠が継続できるというのはかなり稀なケースのようで、破水してるとわかってからも、『胎児は元気だが大変厳しい状況で、このまま行けば21週で取り出す決断を』と言われました。多くは、まだ胎児が小さいから、トイレで胎盤と一緒にスルッと出てしまうと言われ恐怖でした。
歩行禁止でトイレは車椅子。出血&羊水量を計り、ウテメリンを飲み続けました。
まだ20週なので、妊婦食も出してもらえず、感染予防の抗生剤&止血剤点滴と、膣洗浄と羊膜保護のミラクリッドを挿入され、ただただ安静…。
今思うと本当に絶望的な毎日のようだけど、ナゼか、いっくんは助かるという確信があったような。
だって、10週の時の出血入院時も、17週の時の破水入院時も、『多分ダメだけど、あとはこの子の生命力』と言われて、それをクリアしてきたからです。
意外だったのは、先生方や看護師さんって、もっと前向きに励ましたりしてくれるもんかと思っていたら、『赤ちゃん大丈夫ですよね?』と聞くと、十中八九『いや
厳しいですね…』と暗い顔で返されたこと。
皆さん、色んな経験を経て、見てきてるからそういう返答をするのでしょうが、看護師さんくらい、意味もなく『大丈夫、大丈夫』って明るく言ってくれてもいいのになあ、と思いました。
人工羊水注入の方針が決まったのは、去年の今日。
『やってみるしかない』
と、パパと二人で覚悟を決めた日でした。
もうすぐいっくんの誕生日。去年の今頃、生まれるまでに、どんな紆余曲折があったのかも、少しずつ記事にしていこうかと思っています。