言ったもん勝ち
物はいつから、その名前になったのか。
「 石 」はずーーーっと大昔から、
「 いし 」 だったようなきがするけれど、
そう呼ばれるようになるまでは、
「 かたい何か 」
だったわけで、
わたし達が知らないだけで、もっともっと大昔には、
「 ごろ 」 とか 「 ぽこ 」
とか呼ばれていたかもしれない。
そう呼ばれた瞬間から、その名前になり、その名前に寄っていくのかな。
そんな気がするだけなのかな。
今日、昼間のラジオで、マキタスポーツさんが、
「ビジネスおじさん」
という言葉を使っていて、とても面白いな、と思ったのです。
自分の精神年齢は、20代から変わってないんだけど、人に対するときは、自分のことを、
「おじさん」呼ばわりする。
ほんとうはまったく、自分のことをおじさんだなんて思ってないんだけど、「おじさん」て
言っちゃったほうが都合がいい。ビジネス的に。
ってなことを。見た目はもうかなり、おじさんなんだけどって。
つまり、何が面白いかっていうと、
どんな呼び方にしろ、そう呼んじゃった時から、そのものになり、
逆に、そうなりたくなければ呼ばなければいいし、
自分で呼んじゃったもん勝ちなところがあるのです。
わたしは、長女がまだ小さかった時、あるママ友さんが、自分のことを、
「おばちゃんがとってあげようか?」
みたいに、さらっと「おばちゃん」呼ばわりしたのを、すごくかっこいい!!と思ったのです。
年齢とか、キャリアではなく、子供から見たら、「お友達のお母さん」は、皆、「おばちゃん」
なのです。それを、なんのためらいもなく、自分で言えちゃう潔さに、実はいたく感銘を受けて、
自分のことをおばちゃん呼ばわりするようになったのです。
一方、私は、子供たちの前で、頭のてっぺんから声を出して、手遊びや童謡を歌うときには、
「歌のおねえさん」 になるわけです。
これは、夢を壊さないためにも、年齢やキャリアは関係なく、
「おねえさん」であり続けなければいけないわけです。
つまり、これまた、言ったもん勝ちなのです。永遠に。
そして、「自分」というものを確立して、多くの人に認知してもらおうとおもったら、
恥ずかしいだの年齢だの容姿だのなんだのは、もはや、そういったものは、置き去りにして、
自分を「わたしはこういうものです。」
と、ゴリ押しし続けなければいけないのです。言ったもん勝ちまつりなのです。
だからつくづく、ずーーーっと輝いている方々、世の中で脚光を浴びている方々は、
その才能や人徳や運などに恵まれていることに加えて、
とてつもなくメンタルがつよくなければいけないんだなあ、とおもってしまい、また、
小心者の私は、打たれ弱い私は、ちょっとなんかあるとへこんだりするわけです。
でももう、少しへこんでも、ぺこっとまた、元に戻る強さを、ぺこぺこの実を食べて
ここ3~4年の間に身に着けてきた私は、もう大丈夫。 あ、でもあんまり強く殴っちゃだめよ!
元に戻らなくなっちゃうから!
今日は、小学校ライヴの概要が決まりました。
なにしろ前例がないことのようなので、みなさん心配してくれますが、今までも、そしてこれからも、
前例がないことをやっていく、村一番のダイナミックな人として伝説を残すべく、
メンタルをぺこぺこさせながら、割れない程度に保っていきたいと思います。
優しく見守ってくださいまし。
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