寝返った
寝返りました 今日はパパの誕生日、プレゼントはこれでよし
スゴく親しみを感じていた笑顔の可愛い看護師Tさんに、会うなり『蘇生の方針なんですか!?』と聞かれた。はい。と答えると、『蘇生しない選択もあるんですよ。もう少し良く考えて、気が変わったら教えてください。それも間違いじゃないんです。そういう方たくさんいましたよ。』
と説得するかのように言われた。
黙って聞いてたが、『はあ?』
と心の中で反抗していた。ちゃんと夫婦で話し合って出した結論を、なんでこんなに若い子に覆されなきゃいけないんだ
聞く耳持たん
と。
ピリピリしていたナーバスな私は、赤ちゃんを奪われたくない母犬のように、このT看護師を敵視して、意地悪な人だと思ってしまった。
全く母親といい、この看護師といい、赤ちゃんがこんなに元気で頑張ってるのに、なんてこと言うんだ
(`´)って。
NICUの責任者である小児科の女医さんが、23週に入ったね
って、枕元に来てくださった。『羊水をずっとポンプで入れ続けられないかね
とか、体重500gいっててくれれば、大分治療もしやすいんだよね~
』とか、先日の暗い面談の時とは全然違う感じで笑いながら話してくださって、スゴく気が晴れた
多分、23週に入って、生存率も多少高まったから、お互い笑顔も出たのだろうか。
去年の9月3日、23週1日。
二度目の人工羊水注入以来、毎日エコーで確認していたが、何も言われず、様子見の日々だった。
今日はやっと、『羊水はほとんどありません』とはっきり告げられた。
知ってるよ

だ
赤ちゃんは週数通りの大きさで、400~500gくらいらしい。
先日見つけた、羊水無くても6週間粘った人のブログが、かなり励みになっていた。
産科医、小児科医との二度目の面談。後でわかったことだが、1993年に法が改正されるまでは、胎児の救命ラインは24週以降だった。
医学の進歩により22週になったが、救命はできても、その後の合併症、後遺症を次々と乗り越える覚悟が必要。
産科医曰く、『今回の場合は胎盤が子宮口に全部かかっているので、下から出てきてしまうと胎盤が先に出て、その時点で胎児に酸素がいかなくなり、胎児が出てきた時には95%死亡しています。22週でもし、そのような状況になってしまった場合、積極的蘇生を試みますか?』
私達は、『お願いいたします』と頭を下げた。その答え以外ないと思った。
しかし、『蘇生には小児科医が駆け付けるが、小児科医に知らせない選択も間違いではありません。』
そういうことか。
さらに、『もしそのような状況になりそうだった場合、それが23週までなら母体のお腹を傷付けずに下から産ませ、24週に入った時点で帝王切開に切り替える、ということでよろしいでしょうか?』
これにも、『はい。』と答えるしかなかった。
こうして毎日毎日、祈りながらカレンダーの日にちを塗りつぶす日々が始まったのです。
お湯につけてお顔を洗い始めたら、『あ、手ぬぐいが…』と、左手の手ぬぐいが外れちゃったことに気づきました。するともう次の瞬間に、ニョロ~って長い管が伸びてて、『妙に長いな……はああΣ( ̄□ ̄;)』
というわけで、ついに全部引っこ抜いてしまわれたのでした。
『透視室の予約が取れなくて、午後1時になっちゃいます…』
で、結局二度も行きました。その間に穴がふさがっちゃうんじゃないかと心配でした。