積極的蘇生の方針2010

去年の今日、22週4日目。
前回の人工羊水はほぼ流れ出てしまったが、水に満たされていた間は胎児も元気が良く、エコーもくっきり写るので、また今週注入することに。

産科医、小児科医との二度目の面談。後でわかったことだが、1993年に法が改正されるまでは、胎児の救命ラインは24週以降だった。

医学の進歩により22週になったが、救命はできても、その後の合併症、後遺症を次々と乗り越える覚悟が必要。

産科医曰く、『今回の場合は胎盤が子宮口に全部かかっているので、下から出てきてしまうと胎盤が先に出て、その時点で胎児に酸素がいかなくなり、胎児が出てきた時には95%死亡しています。22週でもし、そのような状況になってしまった場合、積極的蘇生を試みますか?』

私達は、『お願いいたします』と頭を下げた。その答え以外ないと思った。

しかし、『蘇生には小児科医が駆け付けるが、小児科医に知らせない選択も間違いではありません。』

そういうことか。

さらに、『もしそのような状況になりそうだった場合、それが23週までなら母体のお腹を傷付けずに下から産ませ、24週に入った時点で帝王切開に切り替える、ということでよろしいでしょうか?』

これにも、『はい。』と答えるしかなかった。

こうして毎日毎日、祈りながらカレンダーの日にちを塗りつぶす日々が始まったのです。



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