一日の重さ(前編)

去年の9月7日(火)、23週5日。
9:30採血の後、いつものように洗浄と薬の挿入…と思ったら、今までに無い結構な出血。ついにおしるしか…

血液から若干の炎症反応。子宮内感染が始まったのか…
『もしそうなら、やがて陣痛が始まり、今日中に生まれちゃう。』と言われる。
モニター付けても張りは無く、抗生剤点滴を始める。
今日で何度目だろう、そしてこれが最後かもしれない『ご主人を呼んで下さい。』

これがあるとシビアな話。ママだけで聞いたらパニくるから?1人では決断できない、決断しちゃいけない話だから?

16時、私達夫婦と産婦人科医数名、小児科医数名揃ってエコーで胎児の無事を確認して最後の面談。
後からわかったことですが、23週での出産とは…。17年前までは助からなかった命。裏を返せば、17歳までしかデータの存在しない子供達。
30数年前は28週がボーダーライン、そこまで行けばまず肺の機能は大丈夫だから。27週までに生まれた人達も、今せいぜい30代。その後のデータはありません。
そんな詳しい説明はされず、ただ、今日決断しなければいけないと。

感染が胎児に及ぶ前に、助けるか、諦めるか。明後日には24週に入るのに…

もし助けるならば、まだ固い子宮を十字に切り開く為、次の妊娠は破裂の危険があって不可能。さらにへそ下には大きな傷が残る。そこまでして助けた子の予後は…なんともいえない。

今回は諦めて、つまり陣痛を起こして下から出し、蘇生はしない。そうすれば、母体は何もなかったようにキレイなままで、次の妊娠が望める。

小児科の先生方は、頭をかきかき、『う

ん、今回は諦めた方が…』

私達夫婦は、もう決断をしていた。誰にも相談せず、二人だけで答えを出していた。
パパが『助けて下さい。』と言った。

奥様は?

『私はどうなってもいい、子宮が無くなってもいい、この子を助けて下さい(;o;)』

もっと何か喋ったかな?最後はもう涙でぐちゃぐちゃ。でも、母ちゃん決めたぜ

明日の朝イチで手術が決まった。

『なんなら今からでもいいんですけど

という私の渾身のボケは全員神妙な顔でスルー。

続く



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